※この記事は「時短制度そのものの是非」ではなく、制度を使う側と使わない側のすれ違いに悩む人の心を扱ったエッセイです。
「時短勤務」という言葉を聞いて、心がざわつくことはありませんか。
子育て中の私にとって、この制度は綱渡りのような毎日を支えてくれる命綱でした。
でも同時に、ふとした瞬間に「周りに迷惑をかけているんじゃないか」「ずるいと思われているんじゃないか」という不安が頭をよぎることもあります。
もちろん、時短勤務を利用しているのは子育て中の女性だけではありません。
育児に参加する男性、親の介護をしている方、自身の持病と付き合いながら働いている方など、事情は様々です。
しかし、背景はどうあれ「定時より早く帰る」という事実が、現場に残るメンバーとの間に見えない壁を作ってしまうことがあります。
独身時代、急に帰る同僚の仕事を無言で引き受けたあの頃の気持ちも、今自分が「すみません」と頭を下げて帰る気持ちも、どちらも痛いほどよく分かるのです。
この記事では、そんな板挟みの心に少しでも風を通すための視点と、明日また頑張るための小さなヒントを綴ってみました。
- なぜ時短勤務は摩擦を生んでしまうのか
- 「むかつく」という感情の裏にある構造的な理由
- 板挟みのストレスから自分を守るための考え方
- 小さな儀式としてのセルフケア
なぜ時短勤務は摩擦を生むのか

ここでは、なぜ時短勤務という働き方が時に周囲との摩擦を生んでしまうのか、その理由を少し掘り下げてみたいと思います。
誰かが悪いわけではなく、どうしても生じてしまう「歪み」のようなものが、そこにはある気がしています。
「しわ寄せ」が生まれる理由

私がまだ独身でフルタイムで働いていた頃の記憶です。
夕方17時を過ぎ、そろそろラストスパートをかけようかという時間帯になると、決まって上司から「あ、これ〇〇さんがやり残した分なんだけど、お願いできる?」と書類を渡されることがありました。
時短で帰った先輩の残務です。
「はい、大丈夫です」と笑顔で引き受けていましたが、自分の仕事もまだ山積みの中、他人の仕事がプラスオンされる現実に、心が重くなるのを止められませんでした。
頭では「お互い様だし、いつか自分も助けてもらうかもしれない」と理解しようとしていました。
しかし、残業をして夜20時頃にオフィスを出る時、ふと「あれ、私のお互い様っていつ返ってくるんだろう?」と虚しくなったことを鮮明に覚えています。
特に独身の場合や、介護などの事情がないフルタイム勤務者の場合、今支払っている労力の対価が将来必ず返ってくるという保証は見えにくいものです。
この「しわ寄せ」こそが、職場の摩擦を生む要因の一つとなりえます。
本来、チームから一人の稼働時間が減るのであれば、それに応じて業務量を減らすか、あるいは人員を補充するのが理想です。
しかし、人手不足に悩む現場などでは「いるメンバーでなんとかカバーしよう」という個人の努力に依存せざるを得ない状況も見受けられます。
これが「構造的摩擦」です。
誰かの悪意ではなく、余裕のないシステム設計そのものが、現場に無理を強いているのです。
その結果、特定の誰か(独身者や手が空きそうな人)に負担が集中し、その疲労とストレスが限界を超えた時、矛先が「時短勤務を利用している個人」へと向かってしまうことがあるのです。
誰も悪意があるわけではなく、余裕のないシステムが摩擦を生んでいることが多いのです。
バタバタ退社が誤解を生むとき

多くの職場において、夕方16時から18時頃というのは「魔の時間帯」ではないでしょうか。
クライアントからの急な問い合わせが入ったり、翌日の会議資料の最終チェックを行ったり、あるいは当日のトラブル対応に追われたりと、一日の中で最も密度濃く業務が動くタイミングです。
まさに「猫の手も借りたい」その瞬間に、時短勤務者はカバンを持って席を立たなければなりません。
「この一番忙しいタイミングで帰るの?」という視線を感じて、胃がキリキリと痛むような思いをしたことはありませんか。
残される側の視点に立てば、戦力が一人抜けることへの焦りや、「なんで私だけ残ってトラブル処理をしなきゃいけないんだ」という不満が湧くのは、人間として極めて自然な反応です。
特に、チーム全体で追い込みをかけているプロジェクトの最中などに「お先に失礼します」と言うのは、どれほど心臓が強くても精神的な負荷がかかります。
一方、帰る側の時短勤務者もまた、決して楽をして帰るわけではありません。
介護施設の面会時間、保育園の延長料金発生のリミット、通院の予約時間など、絶対的な「時間の壁」に追われています。
「1分でも遅れたらアウト」という強烈なプレッシャーの中で退社しています。
まるで逃げるようにオフィスを出て、駅までダッシュする背中は、決して優雅なものではありません。
この物理的な時間のすれ違いと、それぞれの立場で抱えている「余裕のなさ」が衝突することで、「迷惑」という感情の種が生まれてしまうのです。
給与と成果のすれ違い

時短勤務を選択すると、当然ながらお給料はカットされます。
基本給が勤務時間に応じて減額されるだけでなく、企業によっては賞与(ボーナス)の算定基礎額も減らされますし、将来受け取る退職金にも影響が及ぶ場合があります。
私自身、給与明細を見た時、「こんなに引かれるのか…」と愕然とし、生活費を計算してため息をついた記憶があります。
経済的なペナルティは、想像以上に重いのが現実です。
しかし、この「痛み」は周囲には見えません。
同僚から見れば、「定時より早く帰れて、正社員としての身分も保証され、それなりの給料をもらっている」ように映ってしまうことがあります。
特に、業務負荷が変わらないまま時短勤務に入っている場合、その不公平感は加速します。
実際には、時短勤務者の中には「短い時間で以前と同等の成果」を出そうと必死になり、お昼休憩を削って仕事をしたり、トイレに行く回数すら減らしてPCに向かい続けたりと、非常に密度の高い働き方をしている方も少なくありません。
ここで生じるのが、「投入(Input)と成果(Outcome)のバランス」に対する認識のズレです。
フルタイム側は「長く働いている自分が損をしている」と感じ、時短側は「密度の濃い仕事をして給料も減っているのに、評価されない」と感じています。
双方が「自分は損をしている」と感じてしまうこの状況こそが、「時短はずるい」という誤解の正体です。
時短勤務は法律で認められた制度ですが、それを利用するには相応の代償(給与減)を支払っていること、そして現場にはそのしわ寄せがいっていること。
この両面が正しく共有されていないことが、溝を深める要因となっています。
育児短時間勤務制度は、育児・介護休業法に基づき、3歳未満の子を養育する労働者が希望すれば利用できる制度ですが、労使協定による対象外の規定や、雇用期間などの条件によっては利用できない場合もあります。(出典:厚生労働省『育児・介護休業法について』)
挨拶が「自分を守る盾」になる理由

これは私自身の自戒も込めてお話ししますが、職場での罪悪感が強すぎると、逆にコミュニケーションがおろそかになってしまうというパラドックス(逆説)が起こることがあります。
「申し訳ない」「また迷惑をかける」と思うあまり、同僚の目を見るのが怖くなり、誰とも目を合わせずにササッと帰りたくなってしまうのです。
まるで透明人間になったかのように気配を消して退社することが、自分を守る唯一の手段だと感じてしまう瞬間があります。
しかし、残される同僚の視点からすると、その態度はどう映るでしょうか。
「挨拶もなしに帰った」「当然だと思っているんじゃないか」「ふてぶてしい」と誤解されてしまうことが多々あります。
ネット上の掲示板やSNSの声を見ていても、「制度を使うのはいいけれど、一言あれば違うのに」という意見を見かけることがあります。
これは非常に悲しいすれ違いです。
時短勤務者本人は「申し訳なさすぎて顔を合わせられない」だけなのに、それが「感謝の気持ちがない」と受け取られてしまうのです。
余裕がない時ほど、人は防衛的になり、態度はそっけなくなってしまいます。
もちろん、疲れ切っている時に愛想よく振る舞うのは大変なことです。
しかし、その「沈黙」が、かえって周囲の不満を刺激してしまうことがあります。
「お疲れ様です、お先に失礼します」というたった一言の声かけや、退社時のほんの少しのアイコンタクトがあるかないかで、職場の空気は変わります。
これはマナーの問題というより、不要な攻撃を受けないための「自分を守るための盾」として、最低限のコミュニケーションを持っておくことが大切かもしれません。
突発休と職場の疲弊

子供の発熱、親の介護トラブル、自身の体調不良。
これらは本当に突然やってきます。
「明日は重要な会議があるのに」「この締め切りだけはどうしても動かせないのに」という日に限って、トラブルは起きます。
保育園からの呼び出しや、ケアマネジャーからの連絡を受けた時の、心臓が跳ね上がるような動悸は、経験した人にしか分からない強烈なストレスです。
しかし、職場にとっては「今日予定していた業務が止まる」「誰かが代わりに穴埋めをしなければならない」という冷徹な現実が突きつけられます。
一度や二度なら「お大事にね」と笑顔で送り出せても、それが毎週のように続いたり、長期間の不在になったりすると、カバーする側の疲労も限界に達します。
予定していた自分の業務が進まず、残業して穴埋めをする日々が続けば、「いい加減にしてほしい」「体調管理はどうなっているんだ」という感情が湧き上がってくるのを止めることはできません。
「仕方ない」と頭では分かっていても、繰り返される突発休は、確実に職場の体力を奪い、同僚の寛容さを削り取っていってしまいます。
時短勤務を利用する方の中には、「次にいつ休むことになるか分からない」という不安を常に抱えている方も少なくありません。
そのプレッシャーの中で、休んだ翌日に出社した時の「すみません」を連呼する申し訳なさ、席に座っている時の針のむしろのような居心地の悪さは、精神をじわじわと蝕んでいきます。
この「突発的な不在」は、業務フローにおけるリスクであり、感情的な摩擦を生む要因となってしまうのです。
関係を悪化させないための工夫

構造的な問題はすぐには解決しませんが、私たちの振る舞いや心の持ちようで、少しだけ空気を変えることはできるかもしれません。
そして何より大切なのは、板挟みになっている自分自身の心をどう守るかです。
言葉選びで変わる空気

職場の空気を少しでも柔らかくするために、私が最も意識して心がけているのは「言葉の選び方」と「伝え方」の微調整です。
時短勤務をしていると、どうしても「すみません」という言葉が口癖になりがちです。
「早く帰ってすみません」「急に休んですみません」「迷惑かけてすみません」。
しかし、この謝罪の連発は、実は聞いている相手にとっても「謝られるようなことをさせている自分」という負担を与えてしまうことがあります。
また、過度な謝罪は自己肯定感を下げ、職場にネガティブな空気を蔓延させてしまいます。
なので、私は意識して「ありがとう」に変換するようにしています。
「早く帰ってすみません」ではなく、「フォローしてくれてありがとうございます、本当に助かりました」と伝える。
「急に休んですみません」の後に、「〇〇さんが対応してくれたおかげで助かりました、ありがとうございます」と付け加える。
これだけで、関係性が「迷惑をかける人・かけられる人」という上下関係から、「助け合うチームの仲間」という対等な関係に少しだけ近づく気がします。
謝罪は必要最低限にし、その分感謝を倍にして伝えることで、コミュニケーションの質は変わります。
また、依頼をする時の「クッション言葉」も重要です。
単に「これお願いします」と言うのではなく、「お忙しいところ恐れ入りますが」「お手数をおかけして申し訳ありませんが」と一言添えるだけで、相手の受け取り方は劇的に軟化します。
「権利だから当然」という態度ではなく、「おかげさまで働けている」という感謝を行動と重層的に伝えることが、自分自身の居心地を良くする一番の近道だと感じています。
キャリアの停滞とどう向き合うか

「もう仕事辞めてしまいたい」。
そう思うことは、決して逃げでも甘えでもなく、今の状況に対する正常な反応だと私は思います。
特に、復職後に直面することの多いキャリアの停滞(いわゆるマミートラック)は、子育て中の女性に限らず、介護中の社員や、病気療養中の社員にも起こりうる問題です。
会社側は「責任の重い仕事は負担だろう」という配慮(あるいはリスク回避)として行うことが多いですが、当事者にとっては「戦力外通告」を受けたと感じられることがあります。
かつては第一線でバリバリ働いていた人が、単純なデータ入力やコピー取り、会議の調整といった補佐業務ばかりを任される日々。
自分のスキルや経験が生かされない焦燥感、後輩にどんどん追い抜かれていく悔しさ、そして「私は会社に必要とされていないのではないか」という強烈な孤独感。これらは言葉にできないほど辛いものです。
周りからは「責任がなくて楽でいいよね」「定時で帰れて羨ましい」と思われているかもしれないけれど、その内側ではアイデンティティの喪失と戦っているのです。
しかし、この孤独はずっと続くわけではありません。
今は「しゃがむ時期」だと割り切ることも、時には必要です。
キャリアは短距離走ではなく、長い人生を通じて続いていくマラソンです。
制約がある数年間は、キャリアのアクセルを少し緩め、ハンドリングを保つことに集中する期間だと捉え直してみてはどうでしょうか。
もしあなたが今、マミートラックの上で孤独を感じているなら、それはあなたが仕事に対して真剣に向き合ってきた証拠です。
決して自分を卑下する必要はありません。
心が削られる時のセルフケア

毎日、職場では「すみません」と言い続けて頭を下げ、家に帰ればタスクの山。
自分のための時間はゼロで、トイレに行く時間すら惜しい。
そんな生活を続けていれば、心が荒んでいくのは当たり前です。
余裕がなくなると、人はどうしても攻撃的になったり、悲観的になったりしてしまいます。
家族に理不尽に怒鳴ってしまい、寝顔を見ながら自己嫌悪に陥る…。
そんな負のループにハマっていませんか?
心のSOSを無視してはいけません。
「みんなやってるから」と自分を追い込むのは危険です。
職場環境や他人の感情は、自分の意志ではコントロールできません。
コントロール不可能なものに必死にあらがうことは、ストレスの原因になります。
唯一、自分でコントロールできるのは「自分の心のケア」だけです。
「たかがストレス」と思わず、自分をいたわる時間を意図的に確保することが、この長いマラソンを走り切るためには必要不可欠なメンテナンスです。
無理をし続けると、ある日突然糸が切れてしまうこともあります。
早めの「ガス抜き」を意識してくださいね。
小さな儀式としてのネイルケア

とはいえ、「構造的な問題」はすぐには解決しません。
明日急に人員が増えるわけでも、制度が変わるわけでもありません。
そんなコントロールできない現実の中で、私たちが潰れずに生き残るためには、自分自身をメンテナンスする「逃げ場」や「儀式」が必要です。
その一つの手段として、私が試行錯誤の末にたどり着いたのが、「物理的に自分を磨く」というシンプルかつ即効性のある方法です。
特にオススメしたいのが、電動爪やすり(電動ネイルケア)を使った指先のケアです。
「なぜ、こんなに辛い時に爪?」と思われるかもしれません。
決して「爪をきれいにすれば会社の問題が解決する」と言いたいわけではありません。
ただ、仕事中、PCのキーボードを打つ自分の指先は、常に自分の視界に入り続けます。
その指先が荒れていると、無意識のうちに「私は疲れている」「余裕がない」というネガティブな自己暗示をかけてしまいます。
逆に、指先が滑らかで艶やかだと、ふとした瞬間に目に入るたびに「自分はまだ大丈夫」「ちゃんとしている」という小さな自信が湧いてくるのです。
サロンに行く時間なんてありませんし、マニキュアは乾くのを待てません。
でも、電動爪やすりなら、数分で終わります。
余計なテクニックもいらず、ただ当てるだけで爪の形を整え、表面をピカピカに磨き上げてくれます。
特にベビー用品メーカーなどが販売している静音モデルを選べば、深夜に家族が寝静まった後でも気兼ねなく使えます。
| 比較項目 | ネイルサロン | マニキュア | 電動爪やすり |
|---|---|---|---|
| 所要時間 | 1~2時間(移動含む) | 30分+乾燥時間 | 5~10分(隙間時間) |
| コスト | 数千円~1万円/回 | 数百円~数千円 | 本体数千円(買い切り) |
| 持続性 | 3~4週間 | 数日~1週間 | 週1回のケアで維持 |
| 使いやすさ | 予約・預け先必要 | 乾く前に触れない | いつでも中断可・静音 |
無心で爪を磨いている時間は、頭の中の「すみません」や「むかつく」という雑音を消してくれる、私にとっての動的な瞑想(マインドフルネス)のような時間になっています。
物理的に爪の「角」や「ささくれ」を削り落とす行為が、不思議と心の「角」や「ささくれ」まで滑らかにしてくれるような感覚。
これは根本的な解決策ではないかもしれませんが、理不尽な現状を生き抜くための、大切な「鎧」の一つにはなるはずです。
おわりに:あなたはもう十分やっている
時短勤務を巡るモヤモヤは、どちらか一方が悪いという単純な話ではありません。
みんながそれぞれの立場で、余裕のない中で必死に頑張っているからこそ生まれる、切実な摩擦なのだと思います。
制度や組織が変わるのを待つのも大切ですが、それには時間がかかります。
だからこそ、他人の感情に振り回されすぎず、まずは自分の心を整えることから始めてみませんか。
職場の制度はすぐには変わりませんが、自分の爪を磨いて少しだけ気分を上げることは、今夜にでもできます。
もし今この記事を読んでいるあなたがしんどいなら、それは弱さではなく、与えられた環境で責任を果たそうとしている証拠です。
「自分はよくやっている」と、きれいになった指先を見て認めてあげる。
そんな小さな自己肯定の積み重ねが、明日また「理不尽な職場」に向かうための、ささやかですが強力な武器となるはずです。


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